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維新伝心 ~校長室より~

小判校長の教育論

本校の教育理念を基盤とし、そこから発する校長の教育論は、毎日学校全体に響き渡っています。
このコーナーは、その一部を紹介していくコーナーです。

一輪車は何度も何度も練習すれば乗れるようになるのと同じように大脳や小脳も学習を反復すると神経回路が劇的に活性化され、つまり考え方や行動が変わる。毎日の「生徒心得」の唱和は、そのためにやっている。一つ一つは明日からの生徒の行動の動力となる。だからやっている。本気で取り組んでほしい。

現代人が人間関係が築けず孤立化しているというのは人と人との間合いに問題があるように思います。人と人とが一つでないといけないと思っている人は、人を敵か味方かで識別しているのです。人は敵でも見方でもなく良き協力者なのです。良き協力者たり得るためには良き車間距離ならじ人間距離が必要となります。人を支えあったかたちだと言いますが。人と言う字はもともと人のすがたをかたちどった字で支えが取れたら倒れるような人では困ります。一人で立ち人と助け合える人こそ真の人間なのです。

2018年01月08日

  めでたさも
   中位(ちゅうくらい)なり
     おらが春
          一茶
    ※春・・・正月

苦難の日日を送っていた一茶が、人並みの生活を手に入れた感慨を詠んだ
新年の句だと記憶している。
ついつい人と比べてしまう。自分の幸せの物差しが人の暮らし振りならば、
人によって自分の幸せが決まってしまう。
何かさびしい気持ちがする。
自分の行く年も来る年も、自分が見返し自分が描くもの。
人ではない自分をしっかり見定めたいものだ。

確かに見たぞ

2017年12月01日

禅林学園高等学校の演武祭「団結」の余韻にひたっている今日この頃です。
ビデオを見直し、見てなかったところに目を向けた時、人の感想とはまた違った自分だけの新たな気付きがあります。
一生懸命やるということに照れながら自分のからだを動かそうとしている姿に、本来心を感じずにはおれません。
これが、この君(くん)の本来の姿なんだと確信し、ほくそ笑む(納得しひそかに笑う)。
がんばっている、いや、がんばろうとしている仕種(しぐさ)を確かに、この目で見たぞ。

団結

2017年10月02日

あっという間に夏が往き、ちょっと目を離している隙に彼岸花が枯れかけています。
季節は一定のスピードで循環し、私のように68歳の爺さんは、ついつい最期(臨終)の方をみてしまうのでしょう。
若い君達は、うそのようなはなしです。
後期のメインイベントである『演武祭』の今年のテーマは「団結」。生徒が決めてくれました。
「団結」、今や古くさい言葉となりましたね。
我々、人間というよわい動物は、力を合わせて生きのびてきました。
それが、いつの間にか一人一人の力を競い合う激しい競争社会ができ上がり、人と人とが協力し合いながら生きていくことの大切さが忘れ去られてしまいました。
すべての人が勝者をめざす価値観は、だれしも敗者になるということを度外視しているように思えてなりません。
〝勝つことばかり知りて 負くること知らざれば 害その身にいたる〟
 徳川家康の遺訓です。
自分が弱者であるという認識は、全ての出発点でなくてはなりません。
弱者だからこそ、強者をめざすのです。たとえ何かの勝者となっても、いつまでも勝者であるはずがなく、だから、勝つことばかりを考えている人は、敗けることにびくびくしながら生きていくことになります。
人と競い合い勝者をめざすよりも、人と協力し合いながら生きていく方が、どれほどのびのびと生きることが出来、収穫も大きいことか。
「団結」の大切さを感じとっている生徒達はすごい。大したものだ。

2017年08月30日

禅林学園高等学校が開校して5年目。
「行き場のない子供をつくらない」
子供達はそれぞれいいものを持って生まれている。
なのに、なぜ行き場を失い未来を閉ざされた子供達が彷徨うのか。
子供達を導く私達大人がしっかりしないといけない、と痛感する。
そんな小さな思いが、高等学校開校の原動力となったことに
今さらながら本校教育の重要性を再認識し、使命感を新たにする。

出会い、感動の詩人

2017年06月08日

先日、ふと新聞の紙面から飛び込んできた言葉がある。

  つまづいたって
  いいじゃないか
  にんげんだもの
       みつを

今を時めく書の詩人、相田みつをの作品だ。
書店には足繁く通っているはずなのに、初めて知った。まわりはみんな知っていた。
折しも、私の住んでいる県内の美術館で作品を展示していることを知り、次の休日、車で二時間半ほどかけて行った。

最初の作品に釘付けになった。
次の作品、そして次の次と、彼の世界に吸引され、出口を見失った。
はっと我に返った時、三時間が経過していた。

  花を支える枝
  枝を支える幹
  幹を支える根
  根はみえねんだなあ
         みつを

花や枝葉ばかりが大きくなって、それを支えきれないであたふたしている自分に気付く。
「根はみえねんだ」
肝心なところは見えていない。エンジンの露出している車を見たことない。
あたふたするなら花や枝葉を切り落とすしかない。
自分の器で生きればいい。ええかっこすることないと気付いた。

  いいことはおかげさま
  わるいことは
  身から出たさび
       みつを

いいことは自分の力、わるいことは人のせい。
こんな時代的ものの考え方がいかに、自分の身に百害を与えているのか気付かされる。

たくさんある本の中から『にんげんだもの』が、今、通勤の瀬戸大橋線の愛読書となっている。

                     ( 相田みつを『にんげんだもの』より引用)

新しい年度にあたり、一言申し上げます。
新年度はじめは、新しい顔触れも加わり、ぎこちなく、不協和音が生じやすい時期でもあります。
でも、この不協和音が、実はこの学園での一人一人の居場所を確保していく上で、とてもいい布石になっているように思えてなりません。
〝雨降って地固まる〟
ちょっとした諍(いさか)いは、相手への偏見、誤解など、異質なものへの過敏な反応から生じる何ら根も葉もないものです。
人と自分とそんなに違いはありません。
〝人すなわち 神なり 仏なり〟ですから。
違うとしたら、枝、葉の部分でしょう。勉強が出来るとか、感性が豊かだとか、力がつよいとか・・・・・は、その人の生きていく上での上辺にすぎません。
本質は、あらゆる人に備わっている〝霊的なもの〟です。
この〝霊的なもの〟が人によって違うわけがありません。
上辺の違いは、あくまで上辺のこと。こんなものに一喜一憂することは、愚の骨頂です。
同じ学園に集まって来た人と人と人との縁、もしかしたらこの大宇宙で仕組まれているものかも知れません。

青春の時

2017年02月20日

全国に悪名高き〝けんか学校〟
私の母校です。
県下のあちこちから荒くれ者が集まって来ました。
勿論、公立高校を受験し、失敗した者ばかり。
しかも男子校。
入学当初は、制帽を隠しながら登校していました。
それも束の間。人間味のある生徒達。強面の上級生は意外とやさしく、
血の気の多い同級生は意外と思い遣りがあった。
弱い者に絶対に手を出さない。この学校の暗黙の掟があった。
日に日に校風に魅了され、荒くれ者の一員になった。
今までの自分の常識が見事に崩れていった。
常識の向こうに、小さいけれど美しい世界があった。
気がつくと制帽を深深とかぶり、誇らしげな自分がいた。
ふと青春の一齣を思い起こした。